クウェー川鉄橋
ってどんな橋??
クウェー川鉄橋(クウェーがわてっきょう)とは、タイ西部、カンチャナプリ市西方5キロにあるクウェー・ヤイ川(大クウェー川)に架けられた鉄道鉄橋。クワイ川鉄橋と表記されることがある。日本軍の名称ではメクロン河永久橋(めくろんがわえいきゅうばし)。
尚、旧来の川の名称はメークロン川であったが映画『戦場にかける橋』によって「クワイ川」が著名となったために、クウェー・ヤイ川と改名された。クウェー・ノイ川(小クウェー川)は、この橋より下流で合流し、合流地点から下流はメークロン川と称する。
建設の経緯
泰緬鉄道は太平洋戦争開戦前から建設が考えられており、1942年春のビルマ占領を契機として正式に着工された。ビルマ側、タイ側の双方から建設が進められたが、全工程で一番難工事とされていたのが、クウェー・ヤイ川に架ける永久橋の建設とその前後のルートであった。橋梁建設には大量の連合軍捕虜や労務者も投入されたが、設計など建設の主体となったのは鉄道第九連隊第三大隊第五中隊だった。主だった部分はジャワ島などから移設されることとなったが、クウェー・ヤイ川の急流のために建設は難航。そこで、永久橋完成までの間に使う資材運搬用の橋梁として、永久橋の下流に木製の橋梁が急遽架けられる事となった。木橋は1942年12月には完成し、次いで永久橋も1943年5月には完成した。泰緬鉄道の全通は同年10月のことである。泰緬鉄道は完成を急ぐため、あらゆるところで規格が落とされたが、海上ルートが半ば途絶したビルマへの唯一の補給用ルートとして重要な鉄道となった。とはいえ、強度不足が原因による転落事故も頻発していたようである。
クウェー川鉄橋爆撃
インパール作戦を粉砕した米英軍は1944年秋、本格的なビルマ進撃を前にビルマへの唯一の補給ルート・泰緬鉄道破壊を狙う作戦に出た。その際、最重要目標となったのがクウェー川鉄橋である。1944年11月29日夕刻、鉄橋に対する最初の爆撃が行われ、早くも橋桁を破壊する戦果を収めた。1945年に入ると爆撃は熾烈となり、2月9日と2月13日にそれぞれ爆撃に成功し、鉄橋の方はしばらくの間通行不可能となってしまった。ところが、同じく爆撃を受けて被害を蒙った木橋は、捕虜や労務者を動員してすぐに復旧し、鉄橋の代用を見事に果たした。1945年4月3日には再び木橋が爆撃を受け、以後4月24日と6月24日にも攻撃を受けたが、結局は鉄道輸送を完全に途絶することができなかったと言われている。
(以上、ウィキペディアより引用)
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